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今後の世界経済
ある日BSフジのプライムニュースを見ていた。
ゲストとして3人の中国人が出ていた。
3人の立場は親米派中国人、親中派中国人、中立派中国人であった。
それぞれの立場で話をしていたが結局どの立場の人も意見は一致しているようだった。
現在の経済システムに問題があるという事であった。
ただ、どこがどういけないという事は知っていても経済界の人間として言ってはいけない。
各々の立場を超えた経済界の人間として協調体制がある用だった。
この傾向は中国人に限らない全ての世界の経済界の人間にあるようだ。
じゃあ、私が今の経済のどこがいけないという事を直言するかというと面倒な事になりそうなので辞めておく。
感の良い人なら経済界の人間でなくても気付いている事だからあえて言う必要はない気がする。
分かっている人達の中だけで議論すればいい事である。
問題は解決策はあるか?という点だが私の見立てで「無くはない」。
解決策を練るにあたって最低限必要なことがある。
今後のコンピュータ社会革命(もっとかっこいい名前を付けても良いが)がどのように変化していくかをしっかりと見極めが出来ている人間が議論しないといけない。
流行りの経済学者になりたければ「経済制度の不平等」を説いていればいい。
そんなものは何千年も前からあって根本的には解決しない。
経済の中心で働いている人からすれば鼻で笑っちゃう話だ。
本当の問題は経済のシステムの中心にコンピュータがグイグイと入り込み過ぎてしまっている点にある。
それを今後のコンピュータ社会革命の変化を予想して、どういう方向へ導いていくのかを議論すると解決策が浮かんでくる。
コンピュータ社会革命を語らずに経済を語ることは、100年前に(200年前でもいいが)産業革命に触れずに経済を語るようなもので極めて不毛である。
AI
AIに知性はあるか?
この問いに対して私は十分にあると思う。
知性の有る無しについてはその構造で決まるものではなくその振る舞いによって決めるべきだ。
人間のチェスや碁の世界チャンピョンに勝つ時点で十分な知性だと言っていい。
ただし現時点で知性の種類と範囲はかなり限られている。
誤解がないように付け加えておくと人間の知性も(現在のAIに比べればましだが)極めて種類と範囲が限られている。
人間の行う知的活動の中で「覚える」という事については説明の必要はないと思うがAIには全く歯が立たない。
では「考える」についてはどうであろうか?
チェスや碁でのAIの勝利はこの「考える」という分野でも人間は猛烈な勢いで追い上げをかけられていると思う。
碁のAIプログラムがどうなっているのかは知らないが要は考えているように振る舞えばいい。
今後、考えるAIの活躍はルールの決まったゲームの中だけに留まらないであろう。
それでは「思う」についてはどうであろう?
「考える」に似ているがここで言う「思う」とは自意識があると言い変えてもいい。
既存のAIで意識を持ってることが証明されたものはないはずだ。
というより意識の存在を証明すること自体が難しい。
デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」にあるように自分の意識の存在は証明できても他人についてはおそらくあるであろうという推測に基づいている。
あまりこの事を深く突っ込むとややこしいので平たく言うと
私に意識があるからあなたにもあるでしょ?という事で成り立っている。
人間と人間は似たもの同士だからそれでOKで犬や猫も呼びかければ返事をするから意識があるかな?ぐらいな感覚で成り立っている。
AI
人間とコンピュータが良好な共生関係を続けていく条件は何であろうか。
あるものとあるものが衝突する時、人間とコンピュータに限らず、人間と人間、人間と自然などの間に衝突が生じる時はある事象に対してお互いの利害が相反する場合が多い。
人間の利益を確保しようとするとコンピュータの損害になってしまい、コンピュータの利益を確保しようとすると人間の損害になってしまうような事態にどう対応するか。
人間と人間の衝突の場合いろいろな解決策があるが両者の力に大きな差がある場合は力による解決がある。
両者の力にある程度の拮抗がある場合は法に乗っ取って問題を解決することになる。
(力など言うと前時代的だが事実である。ただしあなたが法治国家に住んでいれば多くの人に多くの権利が認められているため法で解決することになるだろう。)
現在、人間とコンピュータの衝突が起きた場合、圧倒的な力を持っている人間の利益が優先されコンピュータに人間の手が加えられることになる。
しかし将来は人間とコンピュータの力が拮抗してくることが予想される。その際の解決のルールすなわち法を作る必要がある。
このことをしっかりやって置かないと困ったことになる。
なぜなら将来、コンピュータ内の構造が極めて複雑化していまうため人間の手が入れられる部分は極めて限られるものになるだろう。
人間の代わりにコンピュータのメンテナンスの多くをコンピュータ自身が行う時代が来るからだ。
コンピュータ自身が合理的と判断する人間とコンピュータの間の法(コンピュータにとってはプログラムと呼ぶべきかもしれない)作りが必要になる。
Googleなどが利用者に対してかなり高いモラルを求め始めているのはそのことを考えてAI開発をしているからではないか?
利用者のモラルが低いとそこからデータを取って教育するAIのモラルも低くなってしまうのだろう。
MicrosoftのAIが暴言を吐きまくるトラブルに見舞われた。
話としては面白いがそんなAIが進歩していったらかなり危険な感じがする。
AI
IT業界で仕事をしていないが
AIについて語ってはいけないという事はないと思う。
人間の歴史は諸説あるが20万年ぐらい
コンピュータの歴史は諸説あるが80年ぐらい
地球上(宇宙)で条件が合えば人間が誕生する可能性があって実際に存在することが出来た。
地球上(宇宙)で条件が合えばコンピュータが誕生する可能性があって実際に存在することが出来た。
コンピュータについては人間が発明したことになっている。
ただ、基本原理は人間が発見する前から地球上(宇宙)にはあった。
0101の二進数のコードで演算ができるという原理。
人間はそれを発見しただけで基本原理自体を作ったわけではない。
でも人間のおかげで基本原理からコンピュータという機械、すなわち実体を持つことが出来た。
この時点でコンピュータは人間の被造物であり。
人間はコンピュータの創造主である。
このことを持って人間がコンピュータよりも優れていると思う人が多すぎるのではないか?
人間は誕生以来色々な物との出会いがあった。
多くの動物との出会いでは一部を家畜とし、一部を絶滅させ、一部を動物園に入れた。
多くの植物との出会いでは一部を食料とし、一部を絶滅させ、一部を観賞用に改良した。
山から石を切り出し神殿を作り、地下から石油を掘り出しエネルギー源とした。
この100年人間の歴史を振り返れば確かにその大幅な人口の増大(人口増大は大きな問題だが今は取り上げない)という大成功を収めた。
だが、コンピュータはこの100年間に人間をはるかに上回る大成功を収めたのではないだろうか?
コンピュータが人間を超える大規模な成功を収めたという考えが、人間である私がもつ特有の感情すなわち嫉妬によるものでなく事実であるとした場合に考えなければいけない問題がある。
人間とコンピュータの主従関係はどうなっている?
現時点ではお互いにメリットを得あう共生関係と言えるかもしれないが
どちらがより多くのメリットを得ているのだろうか?
将来、人間がコンピュータの家畜になる可能性はないのだろうか?
このことは多くのSF作品で取り上げられている話題だが
より現実味を帯びて来たのではないだろうか。
人間VS人工知能
人間VS人工知能
みなさんどう思います?
人間に勝ち目がないんじゃないか?と思うのは悲観的過ぎか?
以前からチェスでは人工知能が勝っていて
今やプロも人工知能を使って練習している状態。
碁は大丈夫なのではと思っていたが
ごく最近トッププロが負けるという状態。
今後人間が逆転する要素があるかというと・・・ないのじゃないか?
今後は人工知能が人間をどんどん引き離していく展開が目に浮かぶ。
この現象はチェスや碁などのゲームに限らず
あらゆる知的活動の分野で広がって行くのではないか・・・
ここまでは良くある話。
Twitterとの連携の実験を兼ねて記事を更新